キリスト教のカトリックにおける聖母マリアとは?
私(筆者)はキリスト教のプロテスタント(聖母マリアは普通の人と考える)の立場の人です
教会もプロテスタントなのでカトリックの聖母マリアについては一切触れることがありませんでした
そんな中、カトリック教徒の人が解説動画を上げててそれが良い動画でしたのでここで紹介と内容を解説していきます
あとプロテスタントの信者(私)からの疑問におもったところ、ツッコミどころを書いています
参考動画
5分半の短い動画で一般の人向けの優しい解説です
ぜひ見に行っていいね!をお願いします
カトリックにおける聖母マリアとは?
人物としては
イエス・キリストを産んだ人物(聖書にも書かれている)
聖母とは聖書(新改訳2017)に書かれていない
マリアも神ではないと教えている
(カトリック、プロテスタント共通)
マリアは神に祈ってくれる人というのがカトリックの聖母マリア信仰
プロテスタントではイエス・キリストを産んだこと以外は普通のの女性と教えている(特別視はない)
カトリックでは聖母被昇天(生きて天国に招かれた)という信仰がある
マリアは生涯の終わりに死ぬのではなく、天にあげられた、という信仰
このことは聖書には書かれていない
昔からある信仰(聖伝、意訳すると口伝で伝えられ)で1950年に教義として認められた
聖母マリアが現世に現れることもある
現れるのは会心を呼びかける、災害の予告などがある
簡単に言うと
聖書の教え+聖伝(口伝)の教えの2つがカトリックの教えの基礎になっている
聖母マリア信仰は主に聖伝の内容が主
プロテスタントから見たマリアとは
イエス・キリストを産んだ母親
夫ヨセフと共に神を信じる人
これだけです
特に死んだときの様子は書かれていません
イエス・キリストはマリアを特別視していない
ヨハネ2章4節(新改訳2017)
すると、イエスは母に言われた。
「女の方、あなたとわたしに何の関係がありますか。
わたしの時はまだ来ていません。」
と母マリアに対して女の人と言い、更には関係が無いと言っています
(聖母のように特別扱いをしていない)
プロテスタントは聖書にが教えの基準としているので
聖母マリア信仰は聖書に書かれていないのでマリアに対する特別視はありません
個人的なツッコミ
キリスト教の祈りは
神への祈りで 天の父なる神さま‥で始まり(誰に対して祈っているか)中分は自由
イエス・キリストの御名(みな)によって祈ります、アーメンで終わります
要約すると
人が行う父なる神への祈りはイエス・キリスト(子なる神)が一緒になって祈ってくれるので届く、という教えです
なぜこの祈りに人であるマリアが介入するのでしょうか?
マリアが介入しないと祈りが届かないほど神の祈りを聴く力が弱いと暗に言っているのではないですか?
聖伝について
ユダヤ教における口伝律法と同じに思えてしまいします
イエス・キリストは律法を守りなさい、そうすれば天国に行けますと律法を守ることを教えた一方、
口伝律法(安息日は働くことを禁止など)に対しては守っていません
聖伝も同じく口伝で伝えられている、聖書には書かれていない、という共通点があると思います
個人的意見をまとめると
マリア信仰はキリスト教に入った人の思い、考えの1つと思います
キリスト教は神の教えを伝えるためのものであり、人の考えは異物に思えます
※言い方を変えると
神の教えを人に伝える(解説)時に人の考えが混じるのは仕方がない
(聖書の文だけでは難解で伝わらないからです)
しかし神の教えそのもに人の考え、人の考えた信仰を混ぜるのはダメだと思います
例
ぶどう酒のタルがあったとして
コップにぶどう酒と水を混ぜて提供するのはOK(その人に飲みやすくするため)
だからといってぶどう酒のタルに水を入れるのはNG
本来のぶどう酒だけが飲みたい人にも薄まったぶどう酒しか提供できないため
信仰は人それぞれ
一方的に批判的なことを書いたのでカトリックの方には申し訳ありません
個人的にはキリスト教の教えは1つであっても、信仰の形、人の思いは人間の数だけあると私は思いますので
どう信じるかは個人の自由だと思っています
カトリックとプロテスタントがお互いに異端認定しないのは教えの細部が違っていてもお互い天国に行けると認め合っているからです
お礼
チャンネル名Catholic Monicaさん動画の解説ありがとうございました
プロテスタントでは絶対に知ることができない部分だったので非常に分かりやすく、参考になりました
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